その年の年末の最後の週末に”今年もお疲れさま”と京都のこの定宿で過ごすようになりもう何年になるだろうか。夕食に出る山椒を効かせた鴨鍋も数年前からはつみれに変わっているのだけれど、僕達は無理をお願いし昔のままのお肉で出して貰っている。でも料理長も年を取ったのか、以前はかなり山椒が効いていてシャープな味付けで”どや”という感じで好きだったんだけれど、今はまろやかな味に変わった。鴨鍋の味だけではなくお料理全体の味付けも。毎年年末に似あってると好きで泊まるいつもの掘りこたつがあり夕食後にまったりとその年を振り返る部屋の造りも、常連さんの高齢化や海外からのお客さんが増えたと昨年堀りこたつの場所がベッドに変わった。
日本最高峰の宿といわれ世界中の名立たる人達に愛され300年以上続くこの宿、素晴らしいセンスと、布団カバーは絹、毛布はカシミヤがいいものと思い込んでいる僕達を”化学繊維でそれ以上に暖かく肌ざわりのいいもんあります”と前年は金の絹糸を使った素晴らしい布団カバーをあっさりと化学繊維に変えてしまう程の固定観念に捕われずいいものは使い、時代と共にこの宿を変えて来た85才になる女主人もいま起こっている”訳がわからん変化”に懸命に対応しているんだなと話していて感じる。
先日コートドールでも感じた僕達が”素晴らしい、ほんまええな”と感じる価値観がこれからドンドン失われて行く。今行けるうちに行っとかないと絶対に後悔する。
東北の餅花を世に広めたこの宿の女主人が、今年は玄関に飾られた餅花の飾り付けの細かい修正をテキパキとスタッフに指示をしながら”餅花は元来祈りのものなんです、私が調子にのり広めてしまいましたけど、原点に戻ろうと思いまして”といつもは飾っていない赤い祈りの札を触りながら言った言葉が強烈に印象に残った師走の京都。